「高度経済成長」期における山村経済の変化
ダム建設のおこなわれた山村では、国勢調査が実施されるわずか5年の間にも、村の総人口の20%あるいはそれ以上も減少するという事態がおこっています。
この人口減は、ただ単にダム建設による水没補償をうけて転出していった者だけではありません。
村のなかで土木工事が大規模におこなわれると、これまで農林業に従事していた人びとが、男も女もこれらの賃労働に出るようになりました。
そこで工事を担当している土建会社との関係ができたり、農林業よりも賃労働に重点がおかれる結果、ダムの完成を迎える頃には、仕事を求めて他の地域に流出していくというように労働力の流動化が激しくすすむからです。
要するに、1960年代から70年代はじめの「高度成長」過程において、それまでは静穏であり、比較的孤立していた山村、外部資本の商晶市場や労働市場としてまだ十分には把握しつくされていなかった「不便な」山村が、外部経済と開発整備された道路によって緊密に結びつけられたのです。
そして外に向けて開かれた結果、かつてない大きな動揺にみまわれ、多くの山村では、劣等地の畑や田から順次耕作放棄がおこなわれたり、植林にきりかえられるなど・・・
地場の農禁生産の停滞ないし衰退がすすみ、「過疎化」が深刻な社会問題として生じたのです。