世界の婦人問題 4
ところで、そうした出版物の中に、1968年以降、はじめは軽く、やがて強い調子で新しい問題視が導入されます。
それは、「女らしさ」の幸福感を与える主題を、新しい女権拡張論の閏題的主題に変化させるものでした。
・・・このように、はじめは本質的に想像的なもの(小説類、挿絵類)であり、表皮的なもの(香水、白粉、香油)であり、習慣的なもの(流行にしたがうこと)であった「エロス」が深刻化し、問題化します。
もはや単に「人に気に入られること」ではなくて、快楽が問題となったのです。
「人に気に入られること」への執着は、こうして性に通じていくのです。
つまり、表面の「エロス」は否定性を自らの中に充填して、それ以後深部をさまよい歩くことになったのです。
それと並行して、はじめは聖化された結婚は、やがて保護されるものとなり(あなたの家庭を守れ、忍耐強くあれ、心の動きをより知る者であれ、巧妙であれ)、つぎには問題視されるものとなります。
つまり、夫婦は平等の土台の上に生きることができるだろうか、どのようにしてか、離婚すべきか。
・・・そして最後の疑問が現れます。
それでも結婚しなければならないのだろうか?
経済問題は、家事の切り盛りの苦労という通用門を通って、ひそかに登場します。
社会問題は、婦人労働問題を通して、世界の問題は、本やテレビ、多少とも社会問題に触れた旅行、多少とも社会学的なルポルタージュです。
そこではションバール、モラン、デュヴィニョーといった人々がインタビューされるでしょう。
こうしたものを通して、入りこんでくるのです。