世界の婦人問題 2
1968年という年は、それ自身表面的には婦人問題と直接関係していないけれども、間接的には大いに関係があります(野蛮な揺り籠です)。
特に注目すべきことですが、この年には女権拡張論的な運動もデモンストレーションもおこりませんでした。
けれども事実は、1968年5月の体験が、間接的に婦人運動にとって決定的なものとなるでしょう。
1968年5月は過程を始動させはしないけれども、そうした過程の中に介入してゆくさまざまな要素に触媒的に作用したのです。
一方では、実存的に何かが変わったのです。
それとは別の渇望、混乱した欲求を抱いていた幅広い波動が、婦人の置かれた状況に波及します。
そして、1967年秋には『エル』誌、ついで『マリー・クレール』誌のレーダーが、その波動をいちはやく検出し、結果としてそれらの雑誌を変化させます。
・・・つまり、「女らしさ」と女権拡張論の閾の最初の文化的相互浸透が実現してゆくのです。